はらのたしより こころのたし 

kozumo-11112011-06-05

あるきながら本をよみ、
          よみながらかんがえ、
                    かんがえながらあるく。



大阪 吹田の万博記念公園の中にある
国立民族学博物館の特別展ウメサオ タダオ展
にいってきました。



自分の足であるき、自分の目でみて、自分のアタマでかんがえる
フィールドの人といわれる梅棹氏



コンピュータのない時代に、
みたもの、しらべたもの、かんじたことの詳細を記録。
その記録の種類もノート、カード、イラストなどなど
工夫に工夫を重ねた膨大な資料。
「明日の自分は他人である」と考え、
資料はだれにでもわかるよう工夫されていたそうです。
”知的生産のユニバーサルデザイン”と展示場ツアーで説明してくださった
国立民族学博物館教授 小長谷有紀さんが表現されてました。


会場は、すべて撮影OK。
1階は7つのコーナーに資料別に分類、
直筆のノートやタイプしたカードの実物をみることができ、
手に取ることができます。



2階は、生まれてから昨年亡くなられるまでの軌跡。
アジア、アフリカ、ヨーロッパを歩き比較文明学を確立。
地球を記録してあるかれた膨大なあしあとです。
フィールドの人といわしめる膨大なあしあと。



特別展 「ウメサオ タダオ展」で購入できる著書の
ブックカバーをデザインされた版画家 田主 誠氏のことばより

先生の一生は未知へのあこがれと知的好奇心に満ちていた。
その知的活動は広範囲にわたり、
そして、
それぞれが関連しあっている。

情報産業を進化論として50年前に論じた1冊
この時代すら、進化のいち過程。

情報の文明学 (中公文庫)

情報の文明学 (中公文庫)

■情報とコミュニケーション 本文中より

世界は情報にみちている。すべての存在それ自体が情報である。
中略
それぞれの被写体は、情報のおくり手ではない。
その被写体のそなえている情報を解読してとりだすのは、
コミュニケーション論的にいえば、うけ手の問題である。
しかしコミュニケーション論の尻尾をのこす「うけ手」ということばを、
いつまでもつかいつづける必要はないだろう。
情報にはおくり手もうけ手もないのだ。
中略


情報はあまねく存在する。世界そのものが情報である。


■あとがきより

自由な精神だけが実現しうる、
あたらしい文化の創造こそが情報産業社会の最大の課題であること、
それには発信側と受信側を同一化する「コミュニケーション」ではなく、
相互に刺激しあう「やりとり」が大切なこと

■会場の2階に対談した多くの方のお名前とともにあった梅棹氏の言葉

相手に触発されて、おもいもかけないことをしゃべってしまう
その新鮮な感動が、
対談や座談会に出席することの魅力である。






昨年、亡くなられる前の対談集です。
会場で、この本を購入。
梅棹氏が特注された原稿用紙をいただきました。

梅棹忠夫 語る 本文中より

わたしが、山に登り、世界の民族をたずねたのは、
デジデリアム・インコグニチ、
未知なるものへのあこがれだけやった。



梅棹忠夫語る 日経プレミアシリーズ

梅棹忠夫語る 日経プレミアシリーズ



梅棹氏に関わった多くの方の梅棹論。
巻末の「梅棹忠夫氏をうけつぐ」で、
梅棹氏のお人柄が語られている。
展示場ツアーで解説してくださった、
小長谷有紀教授もご参加で、
フレンドリーな語り口がとても魅力的なかた。

梅棹忠夫---地球時代の知の巨人 (文藝別冊)

梅棹忠夫---地球時代の知の巨人 (文藝別冊)







展示場をYou Tubeで見れます。
ウメサオ タダオ展
岡本太郎さんの太陽の塔の左側後方の、国立民族学博物館内で。6月14日まで。