語感 どう伝わるか

旧友たちと手紙を交わすことがあり、
それはお悔やみの手紙でしたが、
不謹慎ですが楽しく思い出いっぱいの手紙で。
そして、携帯ではなくおうち電話での長電話。
それぞれの携帯キャリアが違っているので。
なにしろ3時間超の長電話ですから。
ちょっと15年前までは、電話すると友人のお父上かお母上が出られて、
友人に繋いでもらったなあ。
友人達のご家族の声、なんだかはっきり憶えているのです。
そのご家族が亡くなられる事が続いて…。
電話やら手紙やらでのコミュニケーション三昧の1月。



今やメールは当たり前の時代ですが、
お互い久々の手紙のやりとりも良いものです。
皆、文章を書くのは好きな友人達だから、
便箋も切手も、やはりセンス好いセレクト。
そして、メールであればどこか、画一的な言葉も、
手紙であれば、友人達それぞれの優しさに満ちている。
言葉の後ろには、
友人達それぞれの語感を感じることができる。
伝わる言葉を選ぶことを知っている世代であることをつくづくシアワセに思う。
伝わる言葉を選ぶことを知らない世代もまたあると感じることが多いからだ。



昨年末、読んでて飽きない辞書「日本語 語感の辞典」で知り、Amazonで注文。年明けてようやく届きました。








本文中より

ことばが選ぶのは、伝えようとする情報だけではない。
当人の意図とは関係なく、その事柄を選び、
そんなふうに表現したその人自身の、
立場や態度や評価や配慮、性別や年齢、感じ方や考え方、
価値観や教養や品性を含めた人間性が相手に否応なく伝わってしまう。
中略
ばらも桜もコスモスも「花」であり,
お茶もコーヒーも酒も、池も川も海も要するに「水」である。
「雨」にも春雨・さみだれ・夕立・ひさめといろいろある。
「梅雨」もその1種だが、さらに菜種づゆ、走りづゆ、戻りづゆと分ける人もある。
感じ分けるのにはそういうことばを知っているからだ。
語彙が豊富になるにつれて認識が繊細になり、人生をきめ細かく味わうようになるだろう。
中略
「医者」か「医師」か、「海岸」か「海辺」か「冗談」か「ジョーク」か、
「首巻き」か「襟巻き」か「マフラー」か、あるいは、
「霧雨」か「細雨」か「煙雨」か、「雪模様」か「雪催い」かという選択になると、
そう簡単には解決しない。
判断の基準になるのが、
何が伝わるかという<意味>ではなく、
どう伝わるかというまさに<語感>だからである。

意味は同じでもニュアンスの違いを集めた、語感の辞書です。
辞書をひくのもまた久しぶりで新鮮。