HEAP

小豆を煮ながら、ゆるゆるとした休日。
昨日、教授の韓国コンサートのUST中継で
音楽への感動を他国の人と共感するこのリアル感。
地球のどこにいても、つながることができるというリアル感の最中、
フローでもご紹介した
野中先生のあの文章を思い出しました。

「知の生態系」には、科学だけで なく、人間観、世界観、大局観が欠かせない。
あらゆるシステムは、つながりを持ちながら深まっていくのであって、
専門特化の中で孤立して生み出されているのではない。
未来はわれわれの狭い知識の中ではなく
流動する関係性の広がりを持つ「いま」で蠢いているのである
野中郁次郎 なぜ見えないものが見えたのか

もちろん、このお二人も、中継中、中継後と
twitterやブログでそれぞれコメントされていましたので
ご紹介。




 ほぼ日の糸井重里さんの『今日のダーリンより』2011.01.10
 
 

昨日の「ユーストリーム」を使った
 坂本龍一『Playing the Piano』韓国公演の
 無料ライブ中継には興奮しましたよ。

(中略) 
 このやわらかなプロジェクトの進み方を見ていると、
 「あっち側」か「こっち側」か、というような「対立軸」からの発想が、
 すっと乗り越えられているのに気づくわけです。
 

あの国とこの国、敵と味方、有料と無料、プロと素人、
 クラシックとポピュラー、メディアの大と小、
 仕事と遊び、ビジネスとボランティア、
 見えるものと見えないもの、日常と祭り‥‥もう、
 あらゆる対立項(と思われてたもの)が、
 すっかり混じり合って「どっちでもいい」になってる。
 これ、ぼくの憧れの状況だったんです。
 じぶんたちのやっていることも、そうやってきたつもり。
 だけど、「音楽」というものを元にすると、
 すっごく気持いい感じですうっと実現しちゃうんですね。 
 
 

なんだか、とても大きな勇気をもらったと思います。
 「敵と味方に分かれて争いながら進む」っていうの、
 やめられるんじゃないかという希望を感じました。

 


今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
 2011年、希望のかいま見える方角に目と足を向けたいです。


そして、さとなおさん

ボクたちはその萌芽の最初期に生きている
2011年01月09日(日) 18:52:12

ソーシャルメディアが大きく変えてしまうもの
という記事にはたくさんの反応をいただいた。
お茶の間で家族に共有されていたもの。
それが家族と代わる新しい「つながり」に共有されていく流れ。
広告コミュニケーション的にも大きく根本的な変革であるが、
これはもっとたくさんのものを変えてしまうかもしれない。
(中略)


家族でも地域でも国家でもない、新しく編成された「共感によるつながり」。
これを「知縁」と呼ぶならば、これは一周回って「血縁」や「地縁」を復活させるだろう。
一度壊れた縁が、「つながり」によって再生されるだろう。
そして、そうなってはじめて、村上春樹が言うところの「システム」に対抗できる力を持つのだと思う。

ボクはこう見えて慎重な方なので、手放しでソーシャルメディアを賞賛することはしない。
でも、この流れの数十年先に、「共感」や「つながり」を元にした、いま想像すらしていない「再編成」が起こり、
世界のあり方をいい方に根本から変えてしまうような予感に震えてはいる。
それはきっと今日よりいい明日だ。You may say I'm a dreamer. But I'm not the only one.



ボクたちはその萌芽の最初期に生きている。
なんて光栄な時代に生きているのだろう。
まだまだ柔らかく壊れやすいこの小さな芽をつぶさず大切に育てて次につなげる。
そんな時代に居合わせたシアワセを喜びたい。

そしてUSTのページには、

”HEAP"という言葉には、積み重なるという意味のほかに、
コンピューター用語では、
プログラムを実行するまでその大きさが決定できないメモリ部分を示す意味があります。
今回のサカモト・ソーシャル・プロジェクトは、
インターネット初期の『技術の実験』の時代から、
ソーシャルメディアを駆使する『現象の実験』の時代へと移る瞬間の実験プロジェクトです。
ひとりひとりの想いや行動が積み重なりあい、バーチャルとリアルの境界線は限りなく近くなっていきます。
その先には何があるのか、それをみんなで見つけたい。


HEAPの積み重ねは希望ね。きっと。