ココロもカラダも

レタス

今年で4冊目。
毎年春に出版される、ほぼ日の糸井重里さんの1年の言葉を集めた本。
5月に犬を飼いたくなる自分には、楽しみな1冊。
ブイヨンとおいしいものの写真もたくさん。
感想メールをほぼ日に送らせていただいたら、
さっそくにお返事をいただいた。


『一般の本屋さんには並ばないこの本は、
 ほぼ日刊イトイ新聞がつくる本のなかでも
 かなり「個人的な」本だと感じています。
 勝手ながら、つくる私たちは、
 注文してくださった方に
 一冊一冊を「手渡しする」ような気持ちがありますので、
 ご報告いただき、とてもうれしく思いました。
 あらためて、どうもありがとうございます。
 笑ってしまったところ(121ページ)のご感想なども、
 よろこびつつ、拝読いたしました。』

ちゃんとメール読んでくださってるんですね。
そんなところもいつもうれしいな〜とほぼ日と関わる幸せを思うわたしです。



今年のタイトルは「あたまのなかにある公園」
装画は、絵本作家の荒井良二さん。
4冊中、今年の装画が一番。底抜けに明るい。
毎年この本を、半年間はバッグの中に持ち歩く自分としては、
益々のポジティブアイテムで大喜び。
この本は、ほぼ日のみでの購入なので、ISDNもなく、
右上の畑のレタスにのっけた画像で。

本文中より

  同じことを、「できる」と思ってる人と、
 「できない」と思っている人とでは、
 「できる」可能性がぜんぜんちがうと思うんです。


 
 「できる」とわかってするようになってからが、
  本職というものなのかもしれません。
 「できる」と思っていたことが、やってもやっても
 「できない」という場合もあるでしょう。
  でも、それでも、
 「できる」と思っているから「できる」んですよね。
  そうすると、「できない」ように見えて、
  最後には「できる」、というようなことが、
  とても楽しみになってきます。

  

  いつか必ず「できる」と思いつつ、
  なかなか「できない」なんてことが、おもしろくなる。
  こうなってくると「楽しむ」ようになります。
  「できる」がわからないと、「楽しむ」はありません。

 

 「楽しむ」がわかるようになると、
  いつも「できる」ことばかりになります。
  なぜなら、「できない」に決まっていることは。
 「できない」のだから、しなくなるのです。
  奇跡を祈るんじゃなくて、奇跡のようなことも
 「できる」とわかっているんですよね。


ほぼ日出版の本をもう1冊。
ゆっくりしたお休みの午後なんかにぴったりな本。
詩人の谷川俊太郎さんと読者の質問箱。
江田ななえさんの挿画もやさしくって、楽しくって好き。

谷川俊太郎質問箱 (Hobonichi books)

谷川俊太郎質問箱 (Hobonichi books)

素朴な質問と詩人の谷川さんの答え。
質問と答えの向き合い度の奥が深く、まるで哲学のようです。
谷川さん曰く
「深い問いかけにはアタマだけじゃなく、
 ココロもカラダも使ってこたえなくちゃね。」




あとがきばなしの中で、糸井さんと谷川さんが、
お二人の言葉の原点を話されているのでドキドキしました。
本文中より

糸井
「それはきっと、幼い頃からコミュニケーションは、
 難しいものだと感じていたことに由来すると思います。
『自分が思うままに発する言葉』と『相手が受け取る言葉』の関係を
 子ども心に斟酌するようになってしまった。
 それがおそらく、ぼくの言葉についての原点です。」(中略)


「言葉なんかより、きっと触感のようなものがいちばん頼りになりますね。
 それは『何を意味してるか』じゃなくて、『触り心地』なんだ、って。」

谷川
「うん。ぼくがノンセンスを好きなのも、
 言葉でいかに触り心地が伝えられるか、ということを主にできるから。
 つまりは存在させたいということなんです。『意味を伝える』ってことじゃない。
『存在させたい。』」