過去から未来

kozumo-11112010-04-18

2〜3年前くらいに購入した本を、読み直している。
2年前には、ぼんやりとしかわからなかったことや、
自分にはできなかったことが、
今なら、理解できるようになっていたり、現実に社会で起きていたり、
どうやればできる?と思っていた事も、今ではあたりまえのようにできるようになっていたり、
いろいろ。
2年前に読んだ本が、自分に種をまいてくれ、芽をだしていることに、
我ながら、少し感激。
もちろん同時に、最新刊も読む。
今、読んでおかないと、2年後の自分に何も残らないから。
貪欲に、本からもwebからも知を吸収するドラキュラになり感性を磨く。






日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

学ぶ力の劣化 (本文中より)
「学ぶ」という営みは、それを学ぶことの意味や実用性についてまだ知らない状態で、
それにもかかわらず、
これを学ぶことがいずれ生き延びる上で
死活的に重要な役割を果たすことがあるだろうと
先駆的に確信することから始まります。
「学び」はそこからしか始まりません。
(中略)
今の子供たちは、「値札の貼られているものだけを注視し、値札が貼られていないものは無視する」ように教えられています。
(中略)
幼児期からそのような「賢い買い物」のため訓練を施された子供たちの中では、
「先駆的に知る力」はおそらく萌芽状態のうちにつまれてしまうでしょう。
(中略)
現代日本の国民的危機は「学ぶ力」の喪失、つまり辺境の伝統の喪失なのだと私は考えます。





フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリストとは何かー梅田望夫 より引用
わたしたち二人は、この対談を通して「フューチャリストへの強い志向性」という共通点を発見した。
フューチャリストとは、専門領域を超えた学際的な広い視点から未来を考え抜き、
未来のビジョンを提示する者のことである。
では、私たちは、何のために未来をみたいと思うのか。
「自分はいま何をすべきなのか」ということを毎日必死で考えているから、
そのために未来をみたいと希求するのである。
私たちは、時代の大きな変わり目を生きている。
(中略)
同時代の常識を鵜呑みにせず、冷徹で客観的な「未来を見据える目」を持って未来像を描き、
その未来像を信じて果敢に行動することが、未来から無視されないためには必要不可欠なのである。