「物語はからだにきく」と「雪かき」

村上春樹の「1Q84」を購入するつもりで本屋に行ったのに、
それではなく、タイトルと著者 内田樹氏の本にひかれて
読んだ本。
なかなか「1Q84」に到達しない。。

タイトルもおちゃめな「村上春樹にご用心」は、
村上春樹氏へのノーベル文学賞のバーチャル祝辞から始まって、
村上春樹氏について、内田樹氏がblogなどで書いた短い文章を集めた1冊です。
もっとも、内田樹ファンであるわたしは、
ただただ村上春樹氏にむけた内田樹的愛情みたいなものを
同時にたのしめて、2倍お得な本です。


村上春樹にご用心

村上春樹にご用心




「すぐれた物語は身体に効く」という文章が本文中にあります。
物語れる人の言葉が、なぜか心に残るのはそのせい。
物語の言葉はたしかに身体に入り、増幅されることを実感する。
物語は繋がっているんですね。
いろいろなものは、つながりをもちながら深まっていくことを
ここでも知ることとなりました。



内田氏本文中より、村上氏翻訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」から…

「キャッチャー」仕事をする人間がこの世界には必要だ、ということもその一つだ。
「キャッチャー」はけっこう切ない仕事である。(中略)
感謝もされず、対価も支払われない。でもそういう「センチネル(歩哨)」の仕事は誰かが
担わなくてはならない。
 世の中には、「誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる」というふうに考える人と、
「誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう」というふうに考える人の2種類がいる。
「キャッチャー」は第1の種類の人間が引き受ける仕事である。
ときどき、「あ、オレがやります」と手を挙げてくれる人がいれば、人間的秩序はそこそこ保たれる。(中略)
適正を論じる以前に、彼らは世の中には、「そんな仕事」が存在するということさえ想像できないからである。


ダンス・ダンス・ダンス」では、

雪が降ると分かるけれど、「雪かき」は誰の義務でもないけれど、
誰かがやらないと結局みんなが困る種類の仕事である。
プラス加算されるチャンスはほとんどない。
でも人知れず「雪かき」をしている人のおかげで、
世の中からマイナスの芽(滑って転んで頭蓋骨を割るというような)が少しだけ
摘まれているわけだ。
私はそういうのは、「世界の善を少しだけ積み増しする」仕事だろうと思う。

これが、「雪かき」や「どぶさらい」仕事。

最近の内田氏のblogにもこの言葉があり、現在の商品経済の形、そしてこれからの経済の形にも触れている。
愛読者が多いこのblog、twitterのTLでは、「内田研究室 記事」へのつぶやきが
流れてきます。とくに「こびとさん」UP時のTLは「こびとさん」だらけでした。
この「こびとさん」という言葉は、すっかりいろいろな人たちの中で生きていて
これも「身体に効くすぐれた物語」のひとつなのではと思います。是非ご一読を。

商品経済から贈与経済へ
こびとさんをたいせつに

内田樹の研究室 blogより