何によって記憶されたいか?

たんぽぽ

気になるBlogを読み、またそこで違う人のBlogに出会い
また次の人、次のBlogといった具合に、
現実では
全く出会う事も無い、人や事柄に出会い、知らなかった事を知る。

web上で世界中の人と本に出会うが、なぜかよく同じ本の紹介にぶつかる。
今日はよく出会う本の1冊をご紹介。





本文中よりご紹介


  • ビジョンと努力

 「いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった。」
  音楽家ワーグナー80歳の時の言葉。


  • 誇りと完全

 「彫像の背中は見えない。誰にも見えない部分まで請求してくるとは
  なにごとか」
  それに対し彫刻家フェイディアスは次のように答えた。
  「そんなことはない。神々が見ている」
  神々しか見ていなくても、完全を求めていかなければならないということを
  肝に命じている。



  • 優れたコミュニケーションとは何か

  「誰も聞かなければ、音はない」




  • 何をもって記憶されたいか?

  私が13歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。
  教室の中を歩きながら、
 「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰もこたえられなかった。
  先生は笑いながらこういった。
  「今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、
  人生を無駄にしたことになるよ」
  今日でも私は、この「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けている。
  これは、自らの成長を促す問いである。
  なぜなら、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るよう仕向けられるからである。


自分を知り、見つめている人が多いことを知ります。
くまのこウーフのように
自分の本質をみつめることをいつも忘れてはいけないということです。
いつもそばにおきたい1冊とこの本を紹介している人達が書いています。




今日の1枚はたんぽぽの綿毛。
はかなくきれいです。
昔は綿毛を見れば、ありったけのたんぽぽの綿毛を
ただただ楽しく飛ばしていましたが、
今は、このままでと願ってしまいます。
成長したのか、老いたのか。(笑)